散り行く桜の下
ガロア理論の入門書、解説書籍や文献で、その解説や証明を追っては見るものの、理解するのは難しい。
整理された華麗な解説に目眩がするのである。概ねこういうことだ、と読んだ後で自分の言葉で説明ができない。
かと言って、ガロア理論についての原文にあたっても、今度はきっと難解で、曖昧で、わけがわからないだろうと推測する。
まがいなりにも、いろいろ現代的な表記方法や考え方に慣れた以上、過去にはなかなか戻れない。
eについて詳しく知りたいとネピアの対数についてかかれた古い文献にあたったことがあるが、何やらとっても難しかった。実数や関数、微積分の知識を知った上で、それらの考え方が生まれる前に戻れるはずもない。
1は昔数では無かった、と言うことが書かれた本を読んだことがある。
実感として理解できないとしても、その頃のことをあれこれ思い巡らすことは面白い;「リンゴが0個ある」などと言うわけないし、「リンゴが1個ある」と言う言い方も考えれば妙だ。「リンゴがある」と言うだろう。リンゴが複数個あって、それらを区別したいときにはじめて「リンゴが2個ある、3個ある、、、」となるのだろう、と言う様に。
ちなみに、前述のネピアの文献(英文)は古いタイプ文字で、当時のタイプの節約の為らしく、0はO(オー) 1はI(アイ)で打たれていた。
昔、ワープロができる前の欧文タイプは、上手に半行移動(?)させて、指数や添字をタイプしていたのでは無かったか、と古い話を思い出してみたりする。そういえば、もはや誰も使うこともない和文タイプライター(?)が職場の片隅にあったなあ、、、尖った棒のついたアームのようなもので、和文字の一覧から順番に文字を選ぶような感じのものであったと記憶する。
今日は天気がよく暖かかった。コーヒーの紙コップ片手に、公園のベンチでガロア理論の中に書かれていた定理の意味についてあれこれ思いを巡らせながら、桜がハラハラちるのをぼんやり見ていた。